カテゴリー「ワンダと巨像」の10件の記事

2006年5月 5日 (金)

ワンダと巨像 - 果物とトカゲを収集

テトリスDSがおもしろそう。
対戦がとても楽しそう。
これは罠だ、ボクを堕落させようという任天堂様の罠だ。
でも、元から堕落してるからいいんだよ。



「ワンダと巨像」の二周目を開始した。
あまりにもワンダの情報を知らないままプレイしていたので、これは二周目をプレイするしかない!そんな必要性を感じて、最近には珍しく二周目プレイを開始。

一周目の時は知らなかったので、果物とトカゲ収集メインで。
庭園とやらにも行けるものなら行ってみたいので、そのためにも体力を増強しておかなければ。

ネット上の攻略ページを参考にさせてもらいながら探索。
「ワンダと巨像」という密林の奥地に踏み出していくのだ。
道に迷わないための羅針盤として、攻略ページのお世話になるのだが、それでも迷いそうだ。

少し回ってみて、果物はまだ良いが、トカゲは動き回っているので探すのが大変だ。
見晴台の周りにはトカゲが必ず居るということで、周辺を回りながら視点を見晴台の方へ微調整していたら、酔った・・・3D酔いだ。
視点微調整のために、画面が頻繁に揺れるためだ。
何せ、トカゲは目立たない上に動きが素早いので、集中して目をこらしていないと全然見つからなかったりする。
集中して見つめながらウロウロしていると・・・・・ゲロゲロ

ワンダに体力が付く前に、ボクの方がダウンだ。


これまで「16体の巨像だけの割には、無駄に世界が広くて作りが凝っているな」と感じていたのだが、こうやってトカゲや果物を追いかけていると、このサブアイテム達を配置するために地形も充実していたんだなと納得。

しかし、ゲロゲロ感のせいで二周目は断念しそうです。

2006年4月11日 (火)

ワンダと巨像 - 大事な友、アグロ

何かを約束し合った友人か恋人のように、アグロはワンダにずっと付き添っている。
馬という制限された身では近づけない場所にワンダが入り込んだとき以外は、常に近くにアグロは従っている。
ワンダの心が動かぬ少女に向いていると分かっていても、アグロは甲斐甲斐しく尽くしている。

最後にはワンダも、その大事な友人の存在をきっと強く意識するだろう。

巨像以外には、小動物しかいないこの世界で、アグロの存在はとても心強いものだ。
ゲームを進めていけば分かるが、心の支え以外に、アグロは困難な局面を打開するのになくてはならない存在でもある。
ゲームとしても立派に存在理由が割り当ててある。

ボクも(ワンダのように)あんなに格好良く、さっそうと馬の背にまたがってみたいものだ。
いや、アグロの背中にだ。



とりあえず一周目はクリアしたので、攻略サイトを解禁して、いろいろ「ワンダと巨像」について書かれているところを見に行った。

し、知らなかった、果物やトカゲのしっぽでステータスを上げることが出来るなんて。
全く果物もトカゲも摂取せず、完全ノーマルなままのワンダでクリアしてしまった。
「最近の仮面ライダーみたいに、シーズン途中で必ず強化していくなんて邪道だぜ! 男ならノーマルで突き進め!!」と思ったわけではない。
別に、「ノーマルでクリアする!」とかというしばりプレイを楽しみたかったわけでもないのに。

まだまだ、やるべきことはあるということだな。

2006年3月21日 (火)

ワンダと巨像 - エンディング

苦労の末、なんとか攻略方法を見つけて突破した最後の巨像。

詰まっていたところからの次の一手は、確かに予想はしていたんだ。
最後なのだから、あれを使う場面がないわけはないとは分かってた。
だが、使う余裕がないから、使えなかった。

巨像と闘っているといつもヒントをくれる声はこの巨像では何も言ってくれなかったが、突然ボクの耳に響いた(コメントをいただいた)ふみさんのアドバイスに従い、キレてみた。
越えられない壁に阻まれたときの無力感や、もう終わりを迎える将来に対する不安と、そんなモノ達に押しつぶされそうな圧迫感と苛立ちによって、耐えられずキレる少年(ワンダ)を演じてみた。
右手の上で、思いっきり暴れてみた。
その押さえきれないいきどおりを渾身の力で×××××にぶつけてみた。

すると───な、なるほどね。
そうしてから、あれを使うのか!


というわけで、エンディングへと。

最後は長めのイベント。
思っていた結末とは少し違っていたが、やはりそんな感じの運命が待っていたんだね。
( つД`)
最後は階段にしがみついて、握力が続く限り無駄な抵抗をしてしまったよ。

しかし、あの最後の姿…やはりこれは、ICOとつながっているという意味なんだよね?
緊急回避を見たときは、てっきりワンダは地球防衛軍の隊員と血縁関係だ思ったんだが、つながっていたのはそっちとだったんだな。

2006年3月20日 (月)

ワンダと巨像 - あれはどう見ても緊急回避

分類としてはアクションゲームだから、最近のそれらと同じように多彩なアクションが行える。
"走る"、"しゃがむ"、"馬に乗る"、"剣を振る"、"剣を刺す"、"弓を射る"、"よじ登る"、などなど。
ちなみに、ボクは更に"寝る"、"ふてくされる"、"すねる"、"いじける"なんてのが出来るから、ワンダより上だな・・・・・いや、どう考えても下だな。

そして、忘れてはいけないのが、前転
ずぅーと思っていたのだが、ワンダの前転が"地球防衛軍"の緊急回避に見えて仕方がない。
というか、まさにそのもの。
ワンダは地球防衛軍隊員の先祖か? それとも、逆に隊員のなれの果てか?

地球防衛軍シリーズをプレイしてはまった人には(ボクも含め)、今後前転する姿は全て緊急回避にしか思えないだろう。



終わった。

最後の巨像も、あれだけ右手に苦しんだが、分かってしまえば方法としてはかなり簡単。
こいつだけヒントもないんだものな。
今はもう浮かれ気分で「うっひょっひょっ」なのだ。
ゲームが解けたぐらいで───などという自分ツッコミは無しにしよう、落ち込むから。

2006年3月11日 (土)

ワンダと巨像 - 最後でもがく

巨像の探し方が独特だね。
日の当たるところで剣を掲げ光を反射し、その状態でぐるっと回ると、巨像の居る方向で光が収束する。
そして、むしめがねと同じ要領で、光を集めて巨像を焼き払う…わけは無い。
光が集まると同時にコントローラも振動してプレイヤーに教えてくれる。
後は、その光の集まる方向をヒントにして巨像を探すだけで、決して熱くなったりはしない。
このシステム、よく考えれば不自然で、太陽の位置も何もかも無視しているのだけど、何となくこれが正解のような気がする。
よくある右上にレーダーが出るとかは無粋で、当然「ワンダと巨像」の雰囲気には合わない。

と言っても、腕力や体力のメーターが出てるんですけどね。



がんばっているのだが、だめだ、16体目の攻略法が分からない。
ぐおー、時だけが駆け足で過ぎ去っていくよぉ~。
何度も何度も、最後の敵の体を登っているのだが、どうしても右手より先に進めねぇ~。

何か根本的に間違っているのかな。

今のルートが間違っているのか?

ボクの人生までもが否定されているような気がする。


でも、どう考えても左手→右手しか方法は無さそうなんだが。
所々で弱点を攻撃したときの巨像の動きからは、これしかあり得ないように思える。

やはり問題は右手に移ってからどうするかだ。
「巨像さん、今日も輝いてるね! 格好いいね」ってお世辞言ったら、『ぐへへへへへっ』って照れて頭でもかいて、その隙に頭に乗り移るなんてこと出来ないのかな。

いつも、右手で為す術が無くなり、やがて腕の力が尽きて振り落とされてしまう。

気のせいかもしれないが、なんとなく、指先にしがみつくと顔の近くに手を持ってくるような感じがする。
またまた、時間切れなので次回もう少し指先にこだわってみよう。

2006年3月 2日 (木)

ワンダと巨像 - それは眠る少女のために

長い旅を続け、そして、最後に長い橋を渡ってワンダはここに辿り着いた。
古い神殿、外からの光を浴びる位置に配された祭壇、広間の左右に立ち並ぶ巨像。

ワンダは愛馬から動かぬ少女をおろし、祭壇へと運ぶ。
少女は抗いもせず、かと言って抱きかかえやすいように姿勢を変える素振りも見せず、為されるがままにその堅いベットに横たわる。

そして、静かだった広間に響く声。

こうして始まった物語も、ついに最終局面を迎える。

15体目を倒し、やめようやめようと思いながら最終16体目に突入してしまった。
なんてことだ、やはりボクの脳は汚染されているに違いない(『脳内汚染』)。
やりすぎには注意しようと思い続けていたのだが、最後の敵と思うと止まらなかった。

最終にふさわしく、最初近づくことすら出来ない。
まるで砲台のように、一カ所にとどまり高いところから、光弾を腕から撃ってくる。
目的を達するのにあと少し、ボロボロになりながら必死に挑むワンダを容赦なく光の塊が襲い、そして弾かれ無惨に転がっていくという悲壮な状況はずなのに、そのあまりにも為す術の無さが諦めに似た笑いを誘う。
簡単に吹っ飛ばされる我が分身のワンダ。
身をさらすと容赦なく餌食になるので、遮蔽物と地下道を上手く使って近づかなければならない。

なんとか、攻撃を受けない足下に辿り着いたら、その後まるで迷路のような体? 建造物? を登って行かなくてはならない。
気分はビルクライマーに近い。

どうにか右手に移るまでは行けたが、その後が分からず今日は途中で断念。

これまでとは全く趣の異なる巨像に、まだクリアはしていないが最後というのを強く感じた。

神殿に響くワンダを導く声の正体は明かされるのだろうか?
何か禍々しさを感じさせる声。
その声は、ここまで雰囲気から決して良き存在とは思えない。
ワンダを待つのはハッピーエンドか!?
はたまた───。

2006年2月24日 (金)

ワンダと巨像 - 攻撃性

一番気にしていた作品の持つ雰囲気は、期待したとおりであったと思う。
多くの人がそうであったように、ボクも"ICO"の持っていた作品感と同じものを求めて"ワンダ…"を待っていたのだが、それは裏切られていなかった。
目に入ってくる景色の美しさ、本当は追いつめられた状況であるはずなのにどこかのんびりした感じ。
ゲーム性は"ICO"とは大きく変わっているのだが、この背景に漂う空気感が似通っていたので満足している。
 
ただ、やはり今作で攻撃性が前面に出ていることは、個人的には少し残念だった。
"ICO"でも敵を攻撃する必要があるのだが、それは身を守るための受け身的な攻撃だった。
敵は倒しても復帰してくるので、倒すことは時間稼ぎ的な意味しか無く、倒しても特に金が手にはいるとか体力がアップするなどの得るものがないので、避けられる戦いは避けて先に進むことが出来る。
 
"ワンダ…"では、少女を蘇らせるためとはいえ、巨像を倒すことを目的として積極的に攻撃を行う。
倒さなければ先に進めない。
 
結局攻撃するのであるから五十歩百歩なのかもしれないが、やはり二つの持つ意味は違ったものに感じられてしまう。
とはいえ、"ワンダ…"を楽しんでいることも確かだし、この物語の結末を迎えたくて、ワンダを早くこの苦しみから解放してやりたくて、プレイを進めている。
いくら丈夫な主人公とはいえ、痛めつけられながら戦っているその姿は、あまりにも痛々しい。
 
残りの巨像はあと少し。
 
 
 
ところで、小型の巨像が何体か出てくる。
型の像という、字面だけ見れば矛盾しているが、小型でも人よりは大きいので、やはり巨像でいいのだろう。
巨牛ぐらいのもいるのだが───と言うか、さましく巨牛、モーゥ!と鳴いてもおかしくない。
 
小型タイプは大型の持つ圧倒的な迫力はないのだが、その分動きが速く、普通には逃げ切れないというプレッシャーと恐怖がある。
単に逃げるだけでは追いすがられて突き飛ばされ、立ち上がったところに追い打ちをかけられ…と、大型巨像には無い圧力がある。
 
是非(?)、一度追いかけられてみてください。
夢に出てきそう。
チビリそうになるぐらい怖い。

2006年2月11日 (土)

ワンダと巨像 - 目つき悪過ぎ

作品名にもあるとおり巨像が幾種類も出現するのだが、巨像の巨大さに対して受ける印象は人によって異なると思う。ボクは「地球防衛軍」シリーズで巨大な敵を経験しているので、巨像の大きさにはさして感動などは無かった。

もう、小さい頃、象を初めて見たときのように心を動かすことは出来ないんだろうなと少し寂しく感じた…。「地球防衛軍」や「ワンダと巨像」を体験したボクは、象を見ても『何これ? 全然小さいやん』って言いそうだ。

巨像の大きさに対する感じ方はサンドロッドの一連の巨大キャラが出現するゲームなどに触れたことのある人は恐らく同じかと思うが、巨像の造形はそれぞれが非常に凝ったものになっている。その姿や動きには強い存在感がある。

そしてなんと言っても巨像の目が不気味だ。大抵は丸く剥き出しで、そして無機質で、それでいて気味悪く光る大きな目で睨まれたら、背筋がぞっとする。実際に対面したら足がガクガク揺れるに違いない。

目が怖いからと言って、目を背けていては巨像を倒すことは叶わない。それぞれの巨像には攻略法があり、それを探す必要がある。この攻略法を見つけることがこの作品の最大のゲーム性であり、先に進むために乗り越えないといけない壁である。しかも巨像が攻撃してくる中で考えなければならないので、『ちょっと待て、ボクに少し考える時間を寄こせ!』と諭したくなる。もし自力もしくは偶然にでも早い段階で攻略法が見つかった場合は、呆気ないぐらいあっさり巨像を倒すことができ、逆にこれが見つけられなかったときは、一体の巨像に対して延々と時間を費やすことになる。

ボク自身も3体目と6体目に時間がかかった。でも、苦労しそれを何とか切り開いたときが楽しいのだ。

Mとは呼ぶな。



そして、とうとう12体目。

最初は巨像の誘導方法が分からなくて、ずっと頭にしがみついて建造物に近づくのを待ち続けていたよ。それが暇で暇で仕方がなかったので、頭の上で暴れてみたら───そうか、そういうことだったのか。攻略法は、自分で見つけてみよう…と月並みなことを言ってみる。

無事クリア。

巨像を倒しても基本的に変化はないのだが、4体毎に少しずつ簡単な映像が挟まれる。やはり、淡々と進むゲームだが最後に何か大きな変化があるのか? それとも単にエンディングイベントを盛り上げるための単なる伏線的演出か?

2006年1月29日 (日)

ワンダと巨像 - 毎日がボス戦

どんどん進んでいるが、倒した後に巨像から出てくるムニムニにやられるのがなんだか痛々しすぎ。
巨像が倒れた後、ムニムニが出現してくる間も普通に動けるので、必死に逃げてみるのだが、やはりツラヌかれてしまう。
その後に聞こえてくる声、神殿に引き戻され倒れているワンダ周りを囲む黒い影が増えていく、そしてなんだかワンダがなんとなく黒っぽく…。
これは単なる汚れを表現しているんだよね、拾われた子犬みたいに洗えばきれいに落ちるよね。
 
やはり最後は悲劇なのか・・・・・ワンダも黒い影の仲間入り、つまりは巨像になってしまうという。
 
 
 
で、まだ7体ぐらいしか倒していないが、ここまでで受ける印象を端的に言うと『常にボス戦』。
 
よくあるパターンのアクションゲームやシューティングゲームだと、スタートすると雑魚キャラと戦いながらステージをどんどん進んで行き、最後に簡単には倒せないボスキャラが待ち受ける、そしてボスキャラを倒すと次のステージが始まり、また雑魚キャラ達と…という展開が続く。
ゲームの偉大なるマンネリズム、偉大なる様式美であるのだが。
 
〝ワンダと…〟は雑魚キャラに相当する部分が存在せず、ボスキャラにあたる巨像しか出てこない。
だから、常にボス戦を繰り返しているという感触が強い。
 
巨像と戦う前に巨像を探すというプロセスが存在するため、正確には従来のゲームと同じような"ステージを進む"→"ボスキャラ戦"という構造は持っているのだが、雑魚キャラが全く出現しないので受ける印象が異なっている。
違和感、そして独りぼっちゆえの寂しさと孤独感を雑魚キャラが居ないことで一層強める。
 
もしかすると、もっと先に進むと何か変化があるのかもしれないが…。

2006年1月22日 (日)

ワンダと巨像 - 開始

元々年末年始の休みにプレイしようと思って取っていた〝ワンダと巨像〟
予定より遅れ、年明けしばらくしてから少しずつプレイし始めていた。


マリオカートDSのWiFiがおもしろ過ぎたものだから、危うく積みゲー化するところだったけれど、、でも〝ワンダと…〟は是非プレイしておきたいと思っていた作品なので、半ば強引にスタート。
簡単にこの作品について今の時点での印象などを書いておこうと思うが、出来る限りストーリーについては触れないようにしよう。
制作者の思惑は分からないが〝ワンダと…〟に期待されるのはそのゲーム性ではなくその作品性や雰囲気であるから、ストーリーなどを明かすことはこの作品の楽しみの多くを削ぐことになると思う。
見る前の推理ものの小説やドラマの結末を言われたらショックなのと同じだ。
ボクもこれまで出来る限り情報を見ないようにしてきたし、CMで巨像が倒れるシーンを流されたことに対しては少々憤慨したぐらいだ。

だから、これ以降の〝ワンダと…〟に関するエントリーは、今の時点で未プレイで、そして楽しみにしている人は読まないでください。